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メッキの歴史は紀元前から!時代と共に変化してきたメッキの歴史

メッキの歴史

今や私たちの日常の様々な場面で活躍している「メッキ」ですが、実は長い歴史を持つ技術であることをご存知でしょうか。

メッキというものが、いつどこで誕生し、どのような道を経て現代の私たちの生活と関わっているのか。
時代と共に変化してきたメッキの歴史をひも解いていきます。

メッキの始まり

メッキの起源はとても古く、約3500年前に遡ります。
紀元前1500年頃、現在のイラクであるメソポタミア北部のアッシリアで、金属の腐食を防ぐためにすずメッキが行われていた記録があります。

鉄器や装飾品にすずメッキを行うことで、耐食性や装飾性の向上を図ったと考えられます。
すずは沸点が低いため、溶かしたすずを塗布することで、メッキができます。

紀元前700年頃になると、東ヨーロッパの遊牧民族がアマルガム法で青銅に金メッキを行いました。
紀元前500年頃には、中国で青銅器に金メッキを行っていた記録が残っています。

日本でメッキが使われ始めたのは、古墳時代である4~7世紀頃とされています。
大陸から仏教と共にその技術が伝来し、古墳時代後期にアマルガム法による手法で馬具などにメッキが施されるようになりました。
その後、剣や仏像、装飾品などにも使用されるようになりました。

東大寺の大仏

東大寺の大仏は高さ15メートル、幅12メートル、重量250トンの日本最大の大仏です。
752年に完成しており、当時の最先端技術である水銀アマルガム法でメッキを行っています。

水銀アマルガム法とは、水銀に金の粉を加えたアマルガムを表面に塗って炭火で加熱し、水銀だけを蒸発させて金のみを固着させる方法です。
全体を8分割して段階的に銅で鋳造し、全体像が完成した後に表面へ金メッキを行いました。
最終的には金が400キロ以上、水銀が2500キロも使用されたとされています。

全体に金メッキをするのには5年を要し、当時の人々は大変な作業をしていたことが想像できます。



電気メッキ

長らくアマルガム法や置換メッキで行われてきたメッキ技術ですが、1800年にイタリアの物理学者・ボルタが「ボルタ電池」を開発したことで電気メッキが可能になりました。

江戸時代末期にはオランダから電気メッキが伝来し、1855年に薩摩藩の島津斉彬により日本で初めて電気メッキが行われました。
島津斉彬はダニエル電池を用いて、甲冑製品に金メッキや銀メッキを行ったとされています。

近代に入ると、宮川由多加が、日本で初めて本格的なメッキ工場となる宮川電鍍工場を設立しました。

現代のメッキ

1990年代になると世界的に環境汚染問題が深刻化し、環境規制が強化されました。
メッキ業界においても、各種環境規制に準じた製品や技術への切り替えが行われました。

1990年代以降の情報通信分野においても、メッキの技術が活躍してきました。
ハードディスクは磁性メッキ膜により、記憶する容量が増大しました。

半導体は電気銅メッキによって集積回路を高性能化できました。
また、これまでは金属にメッキを行うことが一般的でしたが、セラミックやプラスチックなどへのメッキ技術も開発されています。



まとめ

今回はメッキの歴史についてご紹介しました。

メッキの起源は約3500年前に遡ります。
現代と変わらず、耐食性や装飾性の向上に使われてきました。

金属だけではなく、セラミックやプラスチック、情報通信分野にも使われており、幅広い分野でも取り入れられています。
長い歴史をもち、進化していくメッキの技術、これからの発展が楽しみですね。


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